栃木県と福島県の県境、日光と南会津の間にある、山深い帝釈山脈。
その帝釈山脈にある田代山は、山頂部が平らな地形になっており、その山頂部に
田代山湿原という広大な湿原が広がっています。
田代山湿原にはあまり大きな池塘は見られませんが、その中でも湿原の北東部にひときわ大きな池塘があります。
この池塘が、弘法沼と呼ばれています。
弘法沼の周辺には、チングルマ、タテヤマリンドウ、ヒメシャクナゲ、ツマトリソウ、モウセンゴケといった
湿原に生育する植物が多くみられます。花期になると、これらの植物が花を咲かせ、
田代山湿原と弘法沼は多くの登山者で賑わいます。
弘法沼の向こう側には会津駒ケ岳の雄大な山並が見え、その風景も大変美しいです。
山深い帝釈山脈の中で、異様とも言える平坦な山頂部と、そこに湿原をもつ田代山。
田代山湿原は、火砕流台地という地形に分類されるそうです。周辺の火山活動で火砕流が発生し、
その跡が台地上になったとのことです。この火山活動は100万年以上は前の話になるそうで
その古代の火山活動を、今に伝えています。
ただし、田代山湿原の北西部に流れる西根側の谷がかなり崩落しているなど、心配な点もあります。
最後に、弘法沼という沼の名前について。
弘法とは、弘法大師・空海より名づけられた名前かと思います。
田代山湿原の南西端の部分に避難小屋を兼ねた弘法大師堂がありますので、そこから名前をとられたのでしょう。
では、なぜこの田代山の山頂に、弘法大師堂があるのか?
この弘法大師堂は、大正時代に建立されたそうです。
周辺地域がたびたび天候不順による洪水の被害にみまわれたため、天候を鎮めるためにこの地に大師堂を建立し
弘法大師を祀ったとのことです。その当時の田代山にはまだ登山道が開設されていなかったそうですので、
大師堂の建立には大変な苦労があったかと思います。
※田代山へ登るには、猿倉、木賊、馬坂峠の登山口があり、最も近いのは猿倉登山口ですが、
猿倉登山口に至る福島・栃木県道350号線は、2022年6月現在、福島県側からのみアクセス可能です。
栃木県側は長期間にわたり通行止めになっていて、猿倉登山口にはアクセスできません。
訪問記1:2022/06/26
県道350号線の猿倉登山口から、山道を登ってきて。
どどど~んと目前が開けて、田代山湿原に到着です。
突然目の前が圧倒的に開けるのが、いいですね。
田代山湿原の分岐点。
左から合流してくる道は木道が1本しかなく、田代山避難小屋→猿倉方向専用で、こちらからは入れません。
なので、ここは直進しか選択肢がないです。
湿原の池塘。
コロコロと小気味よいカエルの合唱が響きます。
こちらが田代山湿原最大の池塘、弘法沼です。
奥には残雪の残る会津駒ケ岳。
池塘としてはかなり大きい規模の弘法沼。
ここでも多くのカエルの鳴き声が聞こえています。
弘法沼の奥に、木賊温泉への道が右側に分岐します。
これから進む田代山避難小屋・帝釈山方面は左折。
田代山の山頂標が分岐点にあります。
平らな山頂ではありますが、実際の最高点はこの先の避難小屋(弘法大師堂)付近になるかと思います。
残雪の会津駒ケ岳。
平らな頂上部の山の連なりが見えます。
湿原に咲くタテヤマリンドウ。
蕾も多く、まだまだ花が増えそうです。
田代山湿原の西端にある田代山避難小屋。
この避難小屋が弘法大師堂も兼ねています。
田代山湿原のチングルマの群生。ここまでの群生は初めて見たかもしれません。
帝釈山まで足を延ばしてから田代山湿原まで戻ってきて、下山の途中。
さきほどは一方通行のために入れなかった道から、遠望する弘法沼。
弘法沼と田代山湿原の風景。
あまり池塘の多くない湿原だなという印象ですが、それゆえに
弘法沼の大きさが際立っています。
弘法沼に戻ってきたら、また曇ってしまいました。
ぐぬぬ
さきほどよりは青空が増えてきて、弘法沼の色合いも変わってきましたね。
チングルマのほのかな黄色と白、タテヤマリンドウの青、ヒメシャクナゲの薄紅。
会津駒ケ岳を遠望。
左側の方の部分に駒の小屋が見えます。
弘法沼のベストショットがここかな。
残念ながらすっきり青空とはいかなかったので、またチャレンジしたいですね。
項目名 |
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所在地 |
福島県南会津郡南会津町 |
湖の成因 |
湿原池 |
周囲総長 |
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面積 |
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最大水深 |
- |
貯水量 |
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標高 |
約1928[m] |
河川 |
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